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【セミナー特別企画】第33回 <人生100年時代へのヒント:長寿者/百寿者のことば・生き方㉜> 曻地三郎『106歳のスキップ』亜紀書房 2012年
【セミナー特別企画】第33回
<人生100年時代へのヒント:長寿者/百寿者のことば・生き方㉜>
曻地三郎『106歳のスキップ』亜紀書房 2012年
・著者曻地三郎:1906年(明治39年)、北海道に生まれる。教員となり、広島の山奥の小さな子どもたちを教えたのが最初。 結婚し、子供が生まれたが、二人の男の子に重い障害があり、彼らを救うために、何をすべきかと悩み、大学に入り直して医学を学ぶ。 1954年、養護学校「しいのみ学園」を設立。 九州大学医学部専修科を終了し、精神医学を学ぶ。 医学博士の学位を取得。森鴎外に続き二人目の医学博士と文学博士の両学位を有する。2013年11月27日に逝去、享年107歳。
→二人の知的障がい児を育て、看取り、パーキンソン病の妻に先立たれ、もう一人の子どもは、58歳で他界し、「私は95歳で天涯孤独の身となった。これからは自分のために生きよう」。
主な言葉
・96歳までの人生は、いってみれば主として人のために生きてきた。97歳からの人生は自分のために生きよう。本当に第二の人生が始まったのである。
→長生きすれば、こういう楽しみもある。
・私は家族一切を失って、独りである。これは、もっと広く人のために生きよ、それが自分のためである、という転換点ということである。
→人に支えられるだけの老後ではいけない。自分からも誰かを支える老後でなければならない。
・ただ長生きすればいいというものではない。
→長く生きただけで持ち上げるのは止めにしたらどうだろう。どう生きたか、どう生きているかが大事なのである。・・・漫然と過ごすには、老後が長すぎるのである。
・私は自分が老いたという感覚がない。老いを意識することがない。
→老いたと思ったときから老いが始まる。少なくとも100歳を超えて生きている人は、老い方知らずの人が多いのではないだろうか。
・私が健康なのは、昔から歩くのが苦にならず、機会があればすぐに歩くようにしていたからだと思う。
→日頃から身体を動かす癖をつけておくと、特別な運動などしなくても、健康でいることができる。
・「そのうちいいこともござっしょ」
→愚痴をいいたくなったら、別の前向きなことを考えるようにする。マイナスのことを言い出せば、この世は不満だらけである。しかし、前を見ようとすれば、この世は喜びに満ちている。
・「人生は自分との戦いである」
→私は、頭も身体も全部、自分自身との戦いで鍛えてきた感が強い。もちろん障がいを持った子の親としても、結局は、自分との戦いだったのである。
・人生に余りあり、とは絶対にいえない。後悔や諦念も含めて、人は精一杯生きているのである。
・「一日パジャマで過ごす人間にはなるな」
→私が元気なのは、・・・一番は社会性を失っていないからだろうと思う。
・「長生きなのは、工夫する人」
→私が100歳を超えてボケずにいるのは、普段からさまざまな工夫をする癖がついたからではないかと思う。
・「笑顔が魅力的な人は好かれる」「人は褒められて悪い気がしない」→人間関係の二大原則。
・情があってこそ頭も働く
→知能は情意の力がなければ発達しない。高齢者は知に比して情の部分が枯れていませんか(泣きの映画などをぜひリトマス試験紙にしてみてはいかがだろう)。
・手や足は外にある大脳である。
→脳は筋肉に近い存在。脳は刺激を与えることで鍛えられる。歳をとるほどに、手を使い、足を使わないと、せっかくの脳味噌が活発に動かなくなる。脳に刺激を与え続けること―――これが大事なようである。
・前向きな優しい言葉を使う→ポジティブな姿勢はポジティブな言葉から。
・「何を食べるか」ではなく「どう食べるか」→口にものを入れたら、必ず30回は噛むようにする。
・高齢者の間で嫌われる人→口だけうるさく、体を動かさない、元管理職。
⦿2013年11月27日に、享年107歳で逝去された曻地三郎さんが残してくれた言葉は心を揺さぶる、生きる糧になる言葉。まさに本書は長寿先達の太くて長い人生からの極上アドバイスの一冊である。
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Information
  • 開催日2022年3月25日
  • 場所
  • 時間
  • 費用