【セミナー:特別企画】第42回 <人生100年時代へのヒント:長寿者/百寿者のことば・生き方㊷> 歌代幸子『100歳の秘訣』新潮社2018年
【セミナー:特別企画】第42回
<人生100年時代へのヒント:長寿者/百寿者のことば・生き方㊷>
歌代幸子『100歳の秘訣』新潮社2018年
・歌代幸子 1964(昭和39)年新潟県生まれ。ノンフィクション作家。
学習院大学卒業。著書に『音羽「お受験」殺人』『精子提供 父親を知らない子どもたち』『慶應幼稚舎の流儀』等。
内容紹介
全員、100歳。全員、現役。100歳を越えてなお、生きがいをもって日々を過ごす10人を徹底取材。その健康の秘訣、食事、思考法、仕事への取り組み、そして波瀾万丈の人生を語り尽くす。
1 フォトジャーナリスト 笹本恒子 104歳
・ライカを手にしたのは、日中戦争のまっ只中。終戦後、日本初の写真展を開き、力道山、越路吹雪、宇野千代らをフィルムにおさめた女性報道写真家第一号は、生まれ変わっても「フォトジャーナリスト」になりたいと語る。
・「幸福」とはいかなるものか。「やっぱり人間関係がいちばん大事でしょうね。たとえ物がなくても、人間どうしが仲良くいられたら楽しいもの」
・歳はとるものじゃなくて忘れるものと思う。
2 プロゴルファー 内田棟 101歳
10歳の時、家計を助けるために始めたキャディのバイトで、ゴルフと出会い、55歳でデビューした日本最高齢プロゴルファー。軽井沢ゴルフ倶楽部で出会った、白洲次郎、田中角栄ら一流の人には信念があった――。
・2度のがん闘病(66歳で膀胱がん、94歳で直腸がん)も乗り越え、101歳にしてなおクラブを握る。
・強い気持ちがなければ、何事も成し遂げることはできない。その気概をいつでも持ち続けることが必要なのです。
3 精神科医 髙橋幸枝 101歳
ベストセラー『こころの匙加減』の著者が、医師を志したのは20代半ば。内科医から精神科医となり、患者が社会復帰してこそ本当の治癒と、生活支援も行う。根底には「少しでも誰かのお役に立てれば」という思いがあった。
・人生というのは半分が自分の努力、あとの半分は運命のような気がします。
・少しでも誰かのお役に立てればと・・・・、ほんの1ミリでもね。
・美しい心でいたいと思うの。それが今の願いかしら。
4 画家 入江和子 102歳
大邱で生まれた絵が大好きな少女は、1934年に女子美術専門学校に入学。個展のため訪れた満州の光景が忘れられなかった。それが、50代からのシルクロードへの旅と、NYでの個展、そして今なお続く創作意欲の原点となる。
・後は振り返らない。キャンパスに向ったらもう次の目標に向かうのです。
・生きている限りは、絵を描き続けたい。今が一番、絵が分かる。
5 浅草神社奉賛会会長 鈴木秋雄 102歳
丁稚奉公に出た七人兄弟の末っ子は、浅草の材木問屋で見込まれ婿養子に入る。だがラバウルから戻った時、浅草は一面焼け野原だった。店を、祭りを復興させ、氏子44ヶ町を束ねる筆頭総代は、今なお三社祭で神輿を担ぐ。
・(孫娘は)浅草の町や人とつながる縁を大事に守り、いつでも感謝する気持ちを忘れない。おじいちゃんの背中を見ながら学ぶことは多いですね。
・三社祭は私の生き甲斐。祭りは、人生そのものだから。
6 児童文学者 森比左志 101歳(2018.11.9心筋梗塞のため死去101歳)
『はらぺこあおむし』の訳者であり「こぐまちゃんえほん」シリーズの著者は、教育者、歌人としての顔も持つ。敗残兵として貨物列車へ潜り込んで故郷へ戻り、教壇に立つ日々を変えたのは、一通の電報だった――。
・伴侶を早くに亡くし、自身も幾度か失敗を重ね、晩年にはいくつかの病を得て、不慮の事故に遭いながらも果敢に乗り越えてきた。そのなかで生み出してきたロングセラー絵本の数々。それも人と支え合ってのこと、と謙虚に顧みる。
・(次女は)父の生き様を見せることで、大切なものを教えられてきたような気がします。
7 菓心あづき庵 田谷みき 103歳
メディアからの取材が殺到、企業CMにも登場した、老舗和菓子屋の現役・看板娘は、戦後、亡き夫の残した店を守り、子供らを女手一つで育てた。息子、孫へと、受け継がれたのれんの下で、今日も店に出る。
・何より店に立つことが健康の秘訣ではと聞けば、「私は死ぬまで、こき使われちゃうんだろ」って孫に口説いてるの。
・時を経ても愛される日本の味を守ることこそが、「看板娘」の誇りなのだろう。
8 剣道家 太田博方 103歳
剣道界最高位の「範士」七段は、今も鉄アレイ600回、素振り200回をこなす。父が亡くなって家業が傾き、一日一食で過ごした修行時代も、また出征してマラリアを病んでも、稽古は欠かさなかった。
・妻はがんで闘病生活を送り、68歳で他界した。妻を追って死ぬつもりの状態から、「そうや、お母さんの分まで長生きする」。
・座右の銘は「愛」。愛という字は、「心」を「受」けると書く。つまり、すべての心を受け容れるという意味です。
・剣道は、愛に始まって愛に終わる。そして人生もまた、愛に始まって愛に終わる。
9 言語学者 川崎桃太 103歳
家族と共にブラジルへ渡った少年は、敗戦後、神父として帰国する。還俗し、教職についた彼が、ポルトガルで発見したのは、16世紀の日本で、信長や秀吉と対面した宣教師ルイス・フロイスが残した『日本史』の完全写本だった――。
・やり遂げようという気力さえあれば必ずやできるもんですよ。
・人間の幸せとは、物やお金ではなく、やはり人と人が愛し合うということ。そして、どんなことにも感謝の気持ちをもって、謙虚に生きることを大切にしたいと思うんです。
・103歳になった川崎は「これも天から与えられた命」と、今なお書斎で机に向かう。
10 俳人 後藤比奈夫 101歳
大阪帝大で物理を学び、戦中は陸軍飛行学校の技術士官としてレーダーを研究。敗戦で、電子部品製造会社を興しながら、俳人だった父に入門したのが35歳の時だった。句作りは「ご版を食べているようなもの」という境地に至るまで。
・柔らかな心というのがいちばん大事です。そのためには心を謙虚にして目線を下げること。
・人に接するときはもちろん、物を見るにも、言葉を選ぶにも、謙虚な心が大切。心の目線を低く穏やかにしていると、身の回りの何もかも、出てくる言葉までもがいとおしいものに見えてきます。
あとがき
Information
- 開催日2022年12月25日
- 場所
- 時間
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