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【セミナー特別企画】第60回 <人生100年時代へのヒント:長寿者/百寿者のことば・生き方(60)> 90歳のフィットネスインストラクター瀧島未香さんの生き方。
【セミナー特別企画】第60回
<人生100年時代へのヒント:長寿者/百寿者のことば・生き方(60)>
90歳のフィットネスインストラクター瀧島未香さんの生き方。
・「何歳からでも運動を」
・「もう年だから」と、尻込みする人の背中を押す、フィットネスインストラクターがいる。昭和6年生まれで今年90歳を迎えた「タキミカ」こと、瀧島未香さんだ。
・専業主婦だった瀧島さんが運動を始めたのは、一般的に年金受給が始まるとされる65歳から。
・しかし、治療しながらの通学は容易ではなかった。
・午前8時半からの講義の後、病院で治療を受け、午後6時半に再び大学に戻ったことも。
・体重は約20キロも落ちた。「命に限りがあり、寝る間も惜しかった」と振り返る。
・まだ大きな目標がある。
・この論文を基礎資料に、仕事唄をデジタルアーカイブで残し、誰でもアクセスできるようにすることだ。
・「いろんなご縁に恵まれ、幸せな人生。与えられた使命を、最後までやりきりたい」
[今回は、82歳でステージ4のがんと闘病しながら大学院を修了した、阪田美枝さんの生き方を取り上げる]
――――以下京都新聞記事(2021年4月25日配信)より―――――――
がんとも闘い、82歳が大学院修了 全国の「紙すき唄」「酒造り唄」を訪ねて論文執筆
・♪おまえ紙なら/わしゃ紙すきじゃ/とけてすかれる/身じゃわいな(京都府綾部市・黒谷の紙すき唄(うた))
・かつて職人が口ずさみながら作業に励んだ「紙すき唄」や「酒造り唄」。阪田美枝(よしえ)さん=京都市中京区=は消えゆくこの二つの「仕事唄」を訪ねて全国各地を歩き、唄を分析する論文を書き上げた。今春、同志社大大学院政策科学研究科を82歳で修了。ステージ4のがんと闘病しながらだったが、「若い学生とともに最先端の研究者から学び、喜びに満ちた2年間だった」と充足感を語る。
・同志社女子大の図書館司書だった20代半ば。書庫で、越前和紙の産地の長唄「加美の里」がつづられた冊子を見つけた。長唄の心得があったため、聞いてみたいと現地を訪ねると、すでに歌える人はいなかった。「紙すき唄が消えてしまう」。焦燥感から全国を巡り始めた。約30年かけ、地元の人の歌声を録音したCDと自ら書き起こした譜面86曲を掲載した本を1992年に出版。その後、酒造り唄も収集し、99年に100曲を1冊の本にまとめた。
・80歳で大学院に入学したきっかけは2018年春、ジャズピアニスト山下洋輔さんとの出会いだった。「仕事唄は、日本の文化の原点。貴重な研究だ」と高く評価され、唄への情熱が再燃した。その直後、大腸がんが見つかり、余命3年と宣告された。「唄を後世に伝えることが使命」と捉え、猛勉強して合格した。
・しかし、治療しながらの通学は容易ではなかった。午前8時半からの講義の後、病院で治療を受け、午後6時半に再び大学に戻ったことも。体重は約20キロも落ちた。「命に限りがあり、寝る間も惜しかった」と振り返る。
・論文執筆には葛藤もあった。多くの紙すき職人や杜氏(とうじ)たちと出会い、過酷な労働や孤独、ものづくりへの情熱に心を動かされたが、「(論文では)私情を表現してはいけない」と指導された。
・研究では、インドの図書館学者が考案した分類法を用いて、各唄を節に区切り、歌詞に登場する単語の回数を分析した。紙すき唄の歌詞には、「労苦」「郷土」「恋愛」の要素が多いことが分かった。孤独な作業ゆえ、自らを慰めるために歌われていたと推測される。一方、酒造り唄には「誇り」「祈り」の要素が多く「労苦」は少ない。
男性ばかりの共同作業のため、労働がきつくても弱音を吐かず、互いに鼓舞する職場環境が背景にあると考えられる。唄には、出会った職人たちの心や気質がはっきりと反映されていた。「唄を冷静に分析することで、職人の熱い思いが残せた」
・紙すき唄に出会った原点は、祖母と母親にある。幼少期、よく祖母と一緒に折りびなで遊び、和紙が好きになった。長唄は、名取だった母親に仕込まれた。「和紙と長唄が重なり、仕事唄に導かれた。運命だった」と確信する。研究の背中を押した山下さんとは、自らがかつて録音した紙すき唄に合わせて山下さんがピアノを奏でる共同コンサートも実現した。
・まだ大きな目標がある。この論文を基礎資料に、仕事唄をデジタルアーカイブで残し、誰でもアクセスできるようにすることだ。「いろんなご縁に恵まれ、幸せな人生。与えられた使命を、最後までやりきりたい」
Information
  • 開催日2024年6月25日
  • 場所
  • 時間
  • 費用