<マイ・オピニオン>『郷里の商店街に思う(3)』
2回つづけて、岩手にある郷里の商店街のことを書いてきた。かつてのメインストリートや周辺の商店街が衰退してきたと述べてきたが、いったん衰退してしまうと、再生はきわめてむずかしいとも思う。1970年代に住んでいた青森県弘前市の市史を当時、見たことがある。明治以降のなかでメインストリートが変わっていくことを知ったが、それはそれまでのメインストリートが衰退し、かわりに新しいメインストリートが登場していくことを示している。それは「メインストリートの新陳代謝(交代)論」ともいうべきものであろうか。
残念ながら、郷里の商店街もメインストリートは衰退してしまったが、東北本線の駅西地区に新しいメインストリートが形成されつつあるし、国道沿いにはロードサイド店の集積ができ、さらにいくつかの商業モールができ小売業の核が市内各地につくられてきたので、新たな発展が確実にみられており、それほど悲観的に考えることでないと考える。
問題があるとすれば、これまでのメインストリートや周辺の商店街に、魅力のある店舗はきわめて少なくなっていることである。お箸でソフトクリームを食べさせてくれる昭和を思わせる百貨店のレストランやワンコソバのソバ屋などにはお客が集まっており、相当の集客力をもっている。そこで、魅力のある店舗づくりを行うことが大切であり、敗北主義にならずに、顧客目線に立った積極的な店舗経営に心がけるべきである。それとともに、生活にもっとも不可欠な食料品(生鮮3品など)の店舗を商店街の協力で、なんとか確保していくことが必要である。
行政も大規模なショッピング(商業)モールづくりをこのへんで転換し、いま述べたような店舗づくりを行うことを推進すべきである。行政も、これまでの商業政策を反省してみることも必要であろう。
かつてのメインストリートと周辺は、いまでも年一度はきわめて多くの人びとが集まるときがある。それは秋祭り(9月第2週の金・土・日曜日)のときである。このゾーンには依然としてお祭り広場が設けられ、山車、神楽、神輿などが運行され、活気を取り戻すのである。お祭りのにぎあいは異常であり、「非日常」である。「日常」の商店街における経済活動や生活者の消費行動と祭りの「非日常」とをかんたんには比較することはできないが、お祭りが生活者にいかに愛されているかがわかるのである。どうしたら商店街は生活者に愛されるのであろうか。なお、この問いは今後もつづくが、今回はここで一応、終了する。
永続的成長企業ネットワーク 理事
横浜市立大学名誉教授 斎藤毅憲
[2014.9.16]