<マイ・オピニオン>
『郷里の商店街に思う』
お盆の時期をはさんで、10日間ほど、岩手県の郷里(10万都市)に帰省した。どこの家もお盆の行事は行っているが、静かであり、簡素化がかなり進んできたように思われる。簡素化もそうだが、高齢化だけでなく、若い人たちが進学や仕事のために地元に定住していないために、空き家やさら地が目につくようになっている。そして、地方は車がなければ動くことができなくなっており、モータリーゼーションの時代になっているので、メイン・ストリートも車は走っているが、歩いている人はきわめて少なく、閑散としている。
メイン・ストリートは近在の小売業者にとって卸売業としての機能をも担ってきたので、小売業の性格が若干弱く、消費者にはあまりサービス精神のある商店街ではなかったように昔から感じられていた。しかし、現在では、ご多聞にもれず衰退してしまっている。繁栄していた時期があったことを考えると、あまりにも大きな落差がある。
空き店舗とさら地になったところがみられる。百貨店的な個店は、最上階のレストラン―昭和を思いだすような食堂―だけが繁昌しており、多くの利用者を得ている。ここでは、全国的にもよく知られた、お箸で食べるソフトクリームがとくに人気を博している。しかし、他のフロアはむずかしく、地下の食品売場は閉鎖になってしまっている。また、どう見てもお客が入っているといえる店は少なく、2店舗ある金融機関には利用者は確かにいるものの、商店街を利用することは目的でなく、用事が終わると、乗りつけた車で離れてしまう光景が見られる。
メイン・ストリート周辺の商店街も同じように衰退している。そして、コンビニだけでなく、食料品を売っている店舗がきわめて少なくなっている。これでは市街地に居住していても、高齢者を中心に「買物難民」がでているだろうと思った。
郷里の町は、東北本線の駅の西方向に開発が進み、商店街と住宅地がつくられてきた。そのこともメイン・ストリートとその周辺の衰退につながったと考えられる。しかし、衰退をうながしたのは、これだけではなく、ふたつのことがかかわっている。そのひとつは、国道4号線という幹線道路沿いには、ロードサイド店が多くつくられ、かなりの商業集積になっていることである。物販、自動車関連、飲食、レジャー関連などの店舗が駐車場をもって設置されている。もうひとつは、市街地と農村部との間にある地域(郊外部)に、大型のショッピング(商業)モールがつくられてきたことである。広い駐車場をもつ商業モールが増えるにつれて、新しいモールの吸引力がどうしても強くなり、既存のモールだけでなく、メイン・ストリートは弱体化している。
考えてみると、メイン・ストリートやその周辺の商店街はなにをしてきたのかと思う。かつて全国的な大型量販店が参入したときも、有効な手段をうつことができなかったが、その後のいま述べたような変化にも、ほとんど対応らしいことができなかったのである。そして、メイン・ストリートに駐車場をつくったときには、すでに勝負は決まっていたのである。
しかし、行政もはたして有効な方策をとってきたのかとも思ってしまう。町を発展させるという名目であるが、しっかりとした町づくりを現実には行ってこなかったのではないかという疑念がわいてくる。メイン・ストリートとその周辺にミニ・スーパーやコンビニを設置し、買物難民を出さないようにと思ってきたが、行政は大型の商業モールの開設を認めている。「コンパクト・シティ」が重要といわれながら、依然として行政においては「開発至上主義」が支配しているように感じられる。
どうみても郷里の商業(小売業)構造は大きく変化してしまったようである。メイン・ストリートとその周辺の再生は、現状では困難であろう。西部地域の商業ゾーンがかなり形成されつつあり、メイン・ストリートの交代が行われているのかもしれない。そして、食料品を中心とした商業モールの競争が激化している。おそらくは商業モール間のたたきあいがおこり、それはどのような形になるのかと思う。それと、ロードサイド店の存在がある。かつてはメイン・ストリートとその周辺商店街だけの「一極集中の構造」であったが、複数の極をもつものに変わってきたといえる。メイン・ストリートを中心に考えると、衰退になるが、他の極がでてきたという点では発展したともいえる。
しかし、小売業は究極的に生活者をサポートすることで生き残ることができる。その意味では生活者からの信頼や支持が必要となる。どうしたら、それを獲得できるのであろうか。結論は上述の生活者のサポートを本当にできるかが決定的に重要であるということである。
永続的成長企業ネットワーク 理事
横浜市立大学名誉教授 斎藤毅憲
[2014.9.3]