お役立ち情報詳細


[特別寄稿]『横浜を代表する経営者・野並豊 崎陽軒会長を悼む』

横浜を代表するビジネスパーソンである野並豊 崎陽軒会長が、2014年1月10日にご逝去されました。享年91歳でした。横浜市立横浜商業学校(通称、Y校)、横浜市立横浜商業専門学校(Y専、のちの横浜市立大学(商学部)の前進)を卒業。兵役などのあと、慶應義塾大学経済学部に入学し、学業半ばより崎陽軒の経営に関与する。戦後の荒廃のなかで社業の発展と横浜の復興に貢献した。1954(昭和29)年、専務取締役、1965(昭和40)年初代の野並茂吉社長の死去とともに社長となる。東海道新幹線など日本の交通システムが変わるなかで、それに対応する戦略で社会の発展に尽くした。1991(平成3)年、直文社長にポストを譲り、会長になっている。
横浜の産業振興だけでなく、学術教育文化、福祉などで多方面の活躍を行った。神奈川県知事や横浜市長の表彰・感謝状を多く受賞しており、横浜文化賞(1997(平成9)年産業功労、2011(平成23)年横浜市民プラザへの貢献)を2度得ている。横浜青年会議所の設立にかかわるとともに、1957(昭和32)年の理事長になっている。横浜商工会議所では1985(昭和60)年から2007年までの長期に副会頭をつとめている。また、Y校、Y専、横浜市立大学の同窓会組織である進交会の理事長を1980(昭和55)年から2008(平成20)年まで引きうけ、Y校と横浜市立大学のために貢献している。
2014年3月6日、崎陽軒本店で行われた「野並豊会長を偲んで」で配布小冊子をみると、直文社長は、豊会長を”大変なアイデアマン”であり、「真空パックシウマイ」(1967(昭和42)年)や「ポケットシウマイ」(1985年)の名づけ親であり、「シウマイ年賀状」の発案者であったという。要するに、イノベーター(革新者)としての特徴をもっていたのである。
また、「食をとおして「心」も満たすことをめざします」という同社の経営理念は、”真心”をもってことにあたるの大切さを唱えており、これを通じて顧客に奉仕し、顧客を満足させることを重視しているという。新しさをもとめるイノベータ―であるが、顧客を満足させる”真心”の経営が根底にある。
そして、直文社長によると、横浜をこよなく愛した「ハマっ子」であるとされている。崎陽軒は、横浜の発展とともにあるとし、地域のために喜んで貢献したと述べている。そこには、地域に密着して活動してきた地域企業経営者の理想像が見られており、地域経済の担い手であるとともに、地域社会のリーダーとしての姿が明確に浮かんでくる。それはCSR(企業の社会的責任)の完璧な実践者としての営みといえる。
横浜を代表する経営者のご逝去は、悲しく、残念でならない。ご冥福を祈るとともに、この経営者から学ぶことはきわめて多いことを述べて筆をおく。

永続的成長企業ネットワーク 理事
横浜市立大学名誉教授  斎藤毅憲