椎野秀聰・青山弦(2012)『1859日本初の洋装絹織物ブランド S.SHOBEY』椎野正兵衛商店刊
すてきな装丁(そうてい)をしたこだわりの本である。内容を示すものとして表題の下に、「横浜開港(安政6年)時より世界にその名を知らしめた高級服装ブランド店 椎野正兵衛商店」とある。まさに開港の時期から高級服装の世界的なブランド店となった椎野正兵衛商店とその創業者・椎野正兵衛(1839-1900)の活動を描写した力作である。本書は日本経営史(ビジネス・ヒストリー)研究として貴重であるが、ファッションを中心にした文化史の成果としても読めるものになっている。そしていうまでもないが、開港以後の明治中期までの横浜の歴史も知ることができる。
本書の目次は、主に以下の構成からなっている。
第1章 幕末期の椎野正兵衛
―横浜開港とともに誕生したS.SHOBEY―
第2章 明治初期の椎野正兵衛
―和魂洋才のものづくりの精神―
第3章 椎野正兵衛と万国博覧会
―海外への旅立ち―
第4章 ものづくりから見たジャポニスム
―世界を魅了したドレッシングガウン―
第5章 S.SHOBEYデザイン帖
―正兵衛の捉えた日本美の本質―
第6章 明治中期の椎野正兵衛
―刺繍と手巾の歩み―
第7章 明治後期の椎野正兵衛
―正兵衛からの遺言―
これをみるとわかるように、椎野正兵衛の活動と生涯を明らかにしており、第1章では著者の椎野秀聰の曾祖父である正兵衛の横浜での活動のスタートとその背景を“Established in 1859”にこだわって究明しようとしている。横浜で育ったが、洋装絹織物のパイオニアである初代正兵衛、そして二代目正兵衛(鉦三郎)のことを知らずに過してきた著者はたんねんに初代正兵衛のことを調べており、第2章から第7章まではその成果として生みだされている。
そして、1944年に死去した二代目についてはほぼ関心の外にある。
「刊行にあたって」のなかで、著者は日本のものづくりの伝統と精神を大切にしたいとしS.SHOBEYこそは日本初の洋装絹織物ブランドとして、この日本のものづくりを世界に知らせしめたとしている。そして、2章以下はまさにこのことを示すためにかかれている。
第2章には、海外の人間が見た「S.SHOBEY SILK STORE」が海外の書物に登場していることが明らかにされている。そして、第3章を見ると、国際的な見本市(コンベンション)ともいうべきウィーンやフィラデルフィアの万国博覧会のことが書かれており、とくに後者(1876年)には7品目の洋装絹製品が出品され、世界の注目を浴びていることが示されている。
第4章では、世界を魅了した和魂洋才のドレッシングガウン(19世紀に使用された室内着)がいち早く「直輸出」されていたとされている。さらに、第5章をみると、S.SHOBEYデザイン帖をとりあげることで、正兵衛の考えた“日本美”とはどのようなものであったかを明らかにしている。それは「楽しさ」と「遊び心の精神」に満ちたものであったという。そして、第6章は明治中期の活動をとり扱い、政府主催の全国規模の見本市ともいうべき内国勧業博覧会への出品だけでなく、海外から評価の高かったS.SHOBEYの刺繍技術や、世界のハンカチーフ市場を席巻した手巾のことなどが書かれている。最後の第7章で興味深いのは、横浜のビジネスパーソンの多くは絹でも生糸輸出で成功したのに対して、1900(明治33)年に死去した正兵衛はものづくり(室内着だけでなく、捺染と刺繍による手巾、肩掛、台掛など)で生き残った稀有の人として評価されていることである。
さて、正兵衛の死後、二代目が継承しているが、関東大震災により大きな被害をうけ、二代目は東京に疎開する。そあいて、1944年の死によって、椎野正兵衛商店は休業状況になってしまう。
著者は本書が刊行される10年前2002年に椎野正兵衛商店の再生をはかり、約半世紀ぶりに復活開業を果たしている。いうまでもないが、曾祖父の世界最高品位の絹織物の復活をはかることが目的であり、横浜赤レンガ倉庫での「メイド・イン・ヨコハマ」のスカーフの製造・販売で再スタートしている。
その後、総シルク・バック、総シルク傘、総絹風呂敷、シルク製扇などの製造を行っている。さらに、「超極細生糸を使用した世界一薄い絹織物の開発」が評価されて、第4回ものづくり総理大臣賞を2012年に受賞している。まさに著者は曾祖父の精神を現在に引きづいて活動していることになる。
ところで、著者はもともとは40年前に世界初の楽器設計事務所を立ちあげた人物で、サウンドデザイナーとして活躍してきた。2010年に『僕らが作ったギターの名器』という著書をつくっているが、その出版の協力者となったのが、共著者の青山弦である。ものづくりに最高級にこだわっている著者の活動には目が離せない。
永続的成長企業ネットワーク理事 斎藤毅憲
(横浜市立大学名誉教授)