日経ビジネスONLINEに掲載された興味ある記事。
シャープの“一番の最優先課題”
2013年3月期まで2期連続で巨額赤字を計上したシャープは現在、昨年6月に就任した高橋興三社長のもと、経営再建の真っただ中にある。
「僕らにはファーストプライオリティーが3つある。1つ目は、中期経営計画をやり遂げること。2つ目は、5年、10年と会社を運営していける事業を作ること。でも、“ファースト・ファーストプライオリティー”は、シャープが次の100年、200年、1000年続いていけるようなDNAを根付かせることだ」。こう語る高橋社長は、金剛組に関する書籍に目を通し、社内でも企業永続の模範として同社について言及することがあるという。
シャープが経営危機に陥った理由と、「1000年企業」を目指す同社の再建の方向性を考える助けとするため、今回、金剛組の刀根健一社長に取材の機会をいただいた。
金剛組が1400年超も存続できた理由を問うと、刀根社長から帰ってきた答え。
「第1の理由は、四天王寺さんから継続してお仕事をもらえたこと。そして第2に、信仰心の厚い日本人は、伝統的に神社や仏閣の建物を大切にしてきた。神社の建築様式の基本は長年変わらずに保たれてきたため、技術革新の影響を受けにくく、伝統工法の伝承に専念できた。」
代々受け継がれた企業文化や技術力といった内部要因ではなく、外部環境こそが最大の要因だという答えはやや予想外だったが、逆に素直な分析がゆえに納得感がある。14世紀に渡る社歴を現代人が振り返って美しい理由付けをするのには無理があるし、恐らく初期の当主たちにとっても、金剛組がこれほど長く続くことは想定外だったに違いない。
経営理念を守れなかった
一方、経営危機に瀕していた当時の金剛組の状況に関しては、シャープとの共通点が多々ある。
1967年に39代目の金剛利隆氏が就任すると、金剛組はマンション建設への参入や関東圏への進出など、事業の多角化と拡大に舵を切った。ピーク時には約130億円の売上高の6割を一般建築が占めるようになったという。だが、バブル崩壊後、こうした拡大路線が仇となり、同社の経営は急速に悪化した。
金剛組には、32代目の金剛喜定氏が残した「遺言書」が伝わる。そこに並ぶのは、「身分にすぎたことをするな」「お寺お宮の仕事を一生懸命やれ」といった教えの数々だ。利隆氏は後に、「32代の遺言を守れなかった」と悔やんだという。これは、2000年代からの液晶事業の急成長で、結果的に創業者の精神から大きく道を踏み外していったシャープの「敗因」にも重なる。同社が1973年に定めた経営理念は、「いたずらに規模のみを追わず」の文言から始まる。
「こうすれば会社は1000年続く」という処方箋を見つけるのは困難だが、「こうすれば会社は危機に陥る」という教訓は比較的、明確と言えるようだ。
1000年続く意味
そもそも「会社が1000年続くこと」には一体、何の意味があるのだろうか。ある企業が衰退し、その役割を終えるのであれば、そこに属する人や資産は本来、会社という入れ物にこだわらず、新しい場所でその能力を発揮する方が効果的だ。会社が単に長く続くことの意味は、必ずしも明確ではない。
この点について、金剛組の刀根社長は「1400年続いた価値は、我々より外部の人が評価してくれている」と語る。
「古いものは、一度なくなってしまうと二度と元に戻せない。積み重ねてきた人も技術もなくなってしまう。商人の町、大阪の同業者として、それを座して見過ごすことはできない。」2006年、高松建設が存亡の淵にあった金剛組の支援に踏み切った背景には、経営トップのこんな意思があった。
どこで存在意義を示すのか
その後、金剛組は再度、祖業である寺社建築に事業を一本化する「原点回帰」を進めた。「長い歴史と専属の宮大工集団という『ブランド』に対する、寺社や檀家の期待を裏切らないことが最も重要だ」と刀根社長は言う。1400年という歳月がもたらした「価値」は、支援した高松建設や債権者にとっては大阪の文化や歴史、またはそれらに対する誇りであり、金剛組の顧客である神社や寺にとっては質の高い伝統技術だったということだろう。
シャープは液晶に頼って経営危機を招いた反省から、ヘルスケアやロボットなどの分野で新規事業を育てようとしている。当然のことながら、再建への工程は金剛組のような本業集中、原点回帰路線とは大きく異なる。
今後、シャープは何のために、社会のどこに向けてその存在意義を発揮するのか。それはなぜシャープでなければ実現できないのか、こうした問いには、まだ十分な答えがない。
「1000年続く企業」という同社の壮大な目標は、この点が明らかになったときに初めて、本当の価値を持つようになるはずだ。
出所:日経ビジネスONLINE 記者の眼 (2014年8月5日 田中深一郎)