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[コラム:企業永続の法則Q&A]第5回『「みなとみらい21」のキーマン』

 

[コラム:企業永続の法則Q&A]第5回『「みなとみらい21」のキーマン』

・「みなとみらい21」事業は、20世紀の当時から21世紀を見通した「100年先を見る街づくり」を目指していた。横浜のウォーターフロントにおける新しい世紀を見据えたまちづくりである。
・横浜市は、20世紀の当時からの最大の課題であった「東京からの自立」を目指した街づくりを進め、みなとみらい21事業は、その中核となる事業であった。
・その「みなとみらい21」のキーマンとして登場したのが高木文雄氏。元大蔵事務次官、元国鉄総裁を務め、当時の細郷道一市長から招かれ、みなとみらい21事業の中核である株式会社横浜みなとみらい21社長に就任。
・街づくりに情熱を持ち、みなとみらい21事業をすべて任せられる人物として、高木文雄氏に白羽の矢が立った。当時の細郷道一市長の言葉に「泣く子と大蔵省には勝てない」というものがある。元自治事務次官であった細郷市長の言葉は深い。
・そして、驚くべきことが。高木文雄氏は、なんと無報酬でみなとみらい21に関わっていたのだった。お金でなく、街づくりへの夢。未来に残る、つなぐ街づくりに携わっていたのだった。
・横浜市でこのような形で夢に賭ける人にこれまで出合ったことがなかった。将来・未来・次世代に思いを馳せるとはこういう人なのだ。
・私は、横浜市で大きな街づくりの現場を、偉大な高木社長のもとで過ごし、いま地域における企業の永続を考える立場に立って、事業の理念の大きさとトップの夢・志の重要性を何度も確認している。