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【企業永続へ:経営者に贈る言葉⑭] ~野並直文氏(崎陽軒社長)の言葉~
【企業永続へ:経営者に贈る言葉⑭]
~野並直文氏(崎陽軒社長)の言葉~
・崎陽軒はシウマイ(シューマイ)とシウマイ弁当で知られる横浜の食品企業。
・かつて崎陽軒は全国のスーパーマーケットでシウマイを展開していた。しかしある時期からそれをやめて、横浜エリアを中心とした販売に切り替えている。なぜローカルブランドを目指すことになったのか。
・三代目社長の野並直文氏の決断と実行。
<崎陽軒について>
・崎陽軒の経営理念は次の三つ。
一. 崎陽軒はナショナルブランドをめざしません。
真に優れた「ローカルブランド」をめざします。
二. 崎陽軒が作るものはシウマイや料理だけではありません。
常に挑戦し「名物名所」を創りつづけます。
三. 崎陽軒は皆さまのお腹だけを満たしません。
食をとおして「心」も満たすことをめざします。
<野並直文氏の言葉>
・ローカルブランドに徹しようというきっかけは古い話になる。私が社長になる前でまだ専務をやっていた頃の話。
・社長をやっていた父親から「崎陽軒の今後の方向性として、シウマイを全国に売るナショナルブランドを目指すべきか、それとも横浜を中心とする地域にこだわって、ローカルブランドとしてやっていくのか。お前はどっちだと思うか?」そう、問いかけられた。
・真に優れた商品であるならばローカルブランドからインターナショナルになることができる。
・大きな決断はしたのだが、実行に移すには、かなりの時間がかかった。
・やろうとは思うが、現実として10億の売り上げがなくなってしまうのはコワかった。
・なにしろ、スーパーの流通センターに商品を持っていけば、あとは先方が流してくれる。簡単な商売だった。販売員が一人一人接客して売る必要もない。
・営業マンたちは数字を追いかけたいから、スーパーへの卸をやめない。そういうわけで、全国的にうちのシウマイがばらまかれていった。だが、いつまでもその状態ではいかんと思った。
・ある日のこと・・・近所のスーパーへ買い出しに行った。すると、売り場の隅の方にうちのシウマイがどんと山積みされていた。それではブランド価値も何もあったものではない。かわいそうな姿だった。
・『シウマイがかわいそうだ』
・つまり、全国的にばらまくと、目が行き届かない。ブランドを育てていこうと思っても、うちの営業の人数では全部をウォッチすることはできない。
・そのときにはっきりと決めた。目先の数字よりもブランドを大切にしよう。
・全国からの撤退を命令するのは難しい。売り上げを増やすためなら人は頑張るけれど、減らすことを頑張る社員はいません。口では、はい、撤退しますなんて言っても、様子見の状態だった。
・結局、全国展開をやめたのは2010年頃。私が社長になったのが1991年だから、やめるぞと言ってから20年はかかった。
・全国マーケットからの撤退が進んだのは、・・・・シウマイという単独商品に、もうひとつの商品「シウマイ弁当」が伸びてきた。シウマイ弁当を拡販することが社員の士気を高めた。
・弁当類は着実に売れるようになっていった。かつてはシウマイの売り上げが大部分だったのが、現在では、弁当類の売り上げが伸びて、シウマイと弁当類の売上比率は5対5となっている。
・弁当類が大きな柱に成長したので、全国のマーケットから撤退しても売り上げの減少は一時的なもので済んだ。
・また、1996年に崎陽軒本店がオープンした。本店を中心とした結婚式、イベントなどの売り上げも増えてきた。
・崎陽軒は横浜市、神奈川県のローカルブランドとしての地位を確立し、しかも、商品、サービスの幅が広がった。シウマイだけの会社から総合飲食サービス業に転換できた。
・シウマイは横浜のソウルフードになった。横浜の人は運動会があると必ずシウマイ弁当。
・今でこそ、崎陽軒はシウマイで知られるが、創業した当初は「何の特色もない駅弁屋」だった。
・横浜は開港でできた新しい町。それまでは貧しい漁村で、文化はなかった。
・崎陽軒が創業した1908年は、横浜が開港して50年後。そのときは特色のない普通の駅弁屋で、まだシウマイは出していない。
・何しろ横浜駅では弁当が売れなかった。横浜駅というのは東京駅に近すぎるから、みんな東京駅で弁当を買って、横浜を通過するときは車内で食べている最中。
・なんとか売れるものはないかと考えて作ったのが、冷めてもおいしく食べられるシウマイだった。まだ弁当ではなく、名産品としてのシウマイだった。
・現在ではシウマイだけでなく、シウマイ弁当などの弁当類も崎陽軒の看板商品になっている。
☞著者:野地 秩嘉(のじ・つねよし)ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中
出所:野地 秩嘉「『シウマイがかわいそうだ』崎陽軒が全国のスーパーより横浜で売ることを決めた”ある理由」BLOGOS.COM 2021年08月30日
                (選:吉田正博)