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【企業永続へ:経営者に贈る言葉⑩] ~高見澤志和氏の言葉~
【企業永続へ:経営者に贈る言葉⑩]
~高見澤志和氏の言葉~
・多くの中堅・中小企業が、新型コロナウイルスの感染拡大により経営に苦しんでいる。・2020年に創業135年を迎えた駅弁「峠の釜めし」で有名な荻野屋も例外ではない。観光産業と密接に関連するために約9割の売上げを一気に失った。
・だが、危機に面したのは今回が初めてではない。
<荻野屋これまでの歩み>
・荻野屋は、もともとは碓井峠近くで旅館業を営んでいたが、鉄道が敷設されることを知り、横川駅で駅弁業を開始。いまのベンチャービジネスのような挑戦だ。
・だが、創業からの道のりは平たんではなかった。第一次世界大戦後には世界大恐慌、第二次世界大戦前後には食材不足の時代に直面。3代目社長となった高見澤一重は、妻のみねじと3人の幼子を残し、若くして急逝。その残されたみねじは、・・・・・。
・昭和20年代後半、駅弁業者は50社を超え、新しい駅弁や食べ物が考案された時期だった。横浜駅では崎陽軒の「シウマイ弁当」が登場し、みねじは横浜まで「シウマイ弁当」の売り場を見に行った。みねじが目にしたのは「シウマイ弁当」を求めて殺到する人々の姿だった。
・「何か特徴のあるモノでなければ・・・・」。3年の間、来る日も来る日も信越本線横川駅のホームに立ち、美味しい駅弁をつくろうと、お客様の声を聞き続け、ヒット商品となる「峠の釜めし」を創り上げる。
・しかし、今度はモータリゼーションの逆風。鉄路から道路へと変わっていく中、駅弁からドラブインでの販売に積極的に乗り出し、見事に新しい販路を開拓していく。ピンチをチャンスに変えたのだ。
<高見澤志和氏の登場>
・高見澤志和が、父・忠顕の急逝を受けて、6代目の経営を引き継いだのは、バブル崩壊後の負の遺産が蓄積され、水面下で膨らんでいたころ。その事実に気づかず、拡大路線を続けた志和はその処理に長年苦しむことになる。
・ようやく負の遺産の清算を終えた直後にコロナ禍に見舞われる。いまが、荻野屋にとっても正念場だ。
<高見澤志和氏の言葉>
☞ピンチの後にチャンスがやってきても、すでに諦め、撤退してしまえばチャンスはつかめない。諦めずチャレンジし続けることが成功への要諦だと思う。
☞外部環境次第で、事業は容易にひっくり返される。常に時代の変化を感じながら、事業の在り方を変えるからこそ会社は生き残る。
☞会社が持続的に成長するには帳簿上の改善だけでなく、社員が働いている現場や経営陣の判断のプロセスを改善することが本当の力になる。
☞会社を未来永劫存続させていくためには、・・・・次の世代に向けた投資を続け、時代の変化に遅れを取らないように会社も常に変化させていかねばならない。
☞私が最も同族会社にとって必要と思うのは、企業理念によるガバナンス体制である。・・・すべての経営判断、現場での作業で「企業理念が守られているか」を日々、確認できたとすれば、会社が誤った道を歩むリスクは軽減されるに違いない。
☞時代に合わせ事業を変えていくときも、創業から受け継がれている企業理念と照らし合わせることで、経営判断をチェックすることができる。企業理念を墨守することが、強固なガバナンス体制を築くことになる。
☞創業当初は事業を興し、成長させることを前提に果敢に挑戦してきた。ところが、次第に家訓などが決められ、「変えてはいけない」という守りの経営になっていくことがある。
・事業が順調であるならば、会社のシステムを変える必要はないかもしれない。だが、それでもあえて変えることに挑戦していかないと、停滞どころか衰退することが多い。
☞荻野屋の歴史を振り返ってみても、時代とともに挑戦をして、チャンスをつかみ、常に変わってきた。だから、荻野屋は、135年も存在することができたのである。
☞過去の失敗から学び、リスクを最小限にすることも忘れなかった。
☞長年続いていることを見直し、新たな取り組みを行うことで新たな伝統が築かれていく。
☞伝統とは、チャレンジしていく中でうまくいったことが残るものであり、決して古くから行っていることだけを続けていくことではないものだと感じている。
☞常に危機と隣り合わせにありながら、諦めない気持ちで取り組んだ結果、多くの人との出会いにより、光明を見出すことができたのは事実だ。
☞「停滞は衰退である」。
☞荻野屋は決して他力本願だけでなく、全社が一丸となり、やり遂げたからこそ、過去に絶体絶命の危機を何度も潜り抜けてくることができたと感じている。
☞外部環境の好転を期待し、そのときを待っていてはチャンスを失う。
・ピンチはチャンスでもある。過去の歴史を見てもピンチを糧にして、荻野屋は変化し、生き残ってくることができた。
・今回のコロナ危機のこそ、チャレンジをして前に進むことが、新しいチャンスをつかむことにつながり、新生荻野屋へチェンジしていけることだと信じている。
☞「チャレンジ、チャンス、チェンジ」は、荻野屋の行動の合言葉だ。この言葉を胸に、今後も事業を邁進していきたい。
➽コロナ禍の下で会社の行く末を案じ、なにがしかのヒントや救いを求める人たちに、荻野屋髙見澤志和氏の挑戦が(コロナ禍後)これからの歴史の一助となるはずである。
☞髙見澤志和(たかみざわ・ゆきかず)氏
1976年、群馬県出身。2000年慶應義塾大学法学部法律学科卒業。2018年同大学院システムデザイン・マネジメント研究科修了。2003年に荻野屋へ入社し、専務取締役を経て、2012年に6代目となる代表取締役社長就任。財務・人事など社内改革を推進するとともに、新商品の開発や、首都圏をターゲットにした新規事業を展開するなど、これまでの伝統を踏襲しながらも常に新しい価値の提供を目指し、積極的に挑戦を行っている。
出所:高見澤志和『諦めない経営―峠の釜めし荻野屋の135年』2021年 ダイヤモンド社
(選:吉田正博)
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